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2005年 12月 27日
朝もまだ早く、夜が明けきらぬうちに出発。
あっという間に、プラハの街に別れをつげる時となりました。 午前7:20、プラハ中央駅。 この駅舎を見るのも、実はとても楽しみにしていました。アールヌーヴォーの、美しい建造物なのです! ただし、この駅も(というより、鉄道自体が)治安がよろしくなく、明るい雰囲気ではない!まだ朝方で薄暗かったせいもあるけれど、プラットホームに渡る地下道なんか、絶対一人で歩けない・・・。 7:37発EC279ブタペスト行き。1等客車、コンパートメント車両。 しかし、車両自体は古く、2等車の普通座席の方が新しそう・・・。 車窓には、チェコののんびりとした、というよりは寒々しい風景が。 曇天のせいか、冬の荒れた田畑のせいか、 旧共産圏、さもありなん、といったイメージでした。 通過する駅もボロいというか、閑散としているというか。 上の左の写真は、チェコ第2の都市、ブルノの駅ですよ・・・ 途中、ホームすらない駅がありました。 ここで降りる人たちは大騒ぎ。 11時ごろにはチェコ・スロヴァキア間の国境通過、パスポートチェック。 電車で国境を越えるという初めての経験にドキドキ。 EU諸国のスタンプは、飛行機・車・電車、どのルートの入国か一目瞭然! カワイイ汽車のマークでした。 お昼前にはスロヴァキアの首都、 ブラチスラヴァに到着しました。 歩いて一周できてしまうくらい、 小さなかわいい街です。 昼食後、早速散策へ出かけました。 ウィーンのすぐ近く、目立たない街かもしれませんが、ハンガリー帝国の首都がおかれていたこともある、歴史のある街です。 一度訪れてみたかった所でもあり、感激。 チェコとスロヴァキアの分離の経緯には個人的にとても興味があります。 もともと民族が別であったこと、産業・経済の違い、政治色の違い等の 理由ですが、近隣のユーゴスラヴィアは紛争にまで発展しているのに チェコとスロヴァキアは協議離婚なわけですから・・・。 スロヴァキアは小国ですが失業率も悪くなく、経済は成長途上のようです。 旧市街地には、リストが9歳のとき初めて演奏した、 という建物がありました。ここで、才能を認められたといいます。 他、モーツァルト、ベートーベンなどもこの街を訪れたり、 演奏したことのある、縁の作曲家。 そしてブラチスラヴァ城。 ハプスブルク政権下、マリア・テレジアが居城としたこともあります。 ひっくり返したテーブルのような形、というらしい。確かに。 しかし、ああ、なんて下手な写真の撮り方・・・ このブラチスラヴァ城の高台から、ドナウ川を見下ろすことができます。 で、びっくりしたのは、対岸にある、多数の団地群!! これは、共産政権下の遺産です。こちらを世界遺産にすべきじゃ・・・。 でも、日本の光が丘団地や多摩ニュータウンも殆ど変わらない。 この光景を目にして、複雑な気持ちになりました。 共産主義が作ったものと、資本主義が作ったものは結局同じ?という、 漠然とした思いでしたが。 ブラチスラヴァを後にし、バスでハンガリーへ。 ブラチスラヴァからウィーンは、ドナウ河沿いに目と鼻の先。 わざわざ遠回りする辺り、さすがパッケージツアー。 しかし、そのおかげで見られた、素晴しい景色・・・。国境を越えた後、 チェコ、スロヴァキアと続いてた曇天も晴れ、美しい田園風景と夕陽が。 頭に流れてくるのは、レ・プレリュード。さて、次は、リストの国! ※ご指摘いただき、一部記事修正しました #
by mitsukoviola
| 2005-12-27 23:30
| 旅日記
2005年 12月 24日
お昼ごはん後は、ひたすら街歩き。
しかし、プラハは車が非常に多い。 そしてスピード出しすぎ。 実は、ヨーロッパいち交通事故の 多い街だそうで・・・危険! まずは、今回どうしても行かなければ、ということでドヴォルザーク・ミュージアムへ。 ここは、新市街の近くにあり、トラムに乗らなければ行けません。 メモに地名を書いて、「ここに行きたい、どのチケットを買えば?」と・・・。 【ドヴォルザーク・ミュージアム】※撮影は有料にて許可を得たもの。 メイン通りから少し離れた静かな場所。 ドヴォルザークに縁の建物では ありませんが、貴族の住んでいた、 非常に美しい建築物を そのまま使用しています。 内部には、彼の生きた人生や 遺品などを展示。 亡くなった直後、彼の部屋にあった ピアノ、机などがそのまま置いてあります。 肉屋の子として生まれながら、作曲家として大成した彼の、 最後の部屋にあったというベートーベンの肖像画が、 非常に意外でもあり、印象的でした。 ミュージアムでは、楽譜・CDなど多々販売していました。 オケ仲間との約束があったので、いちおう、係りの人に聞いてみた。 「序曲○×(次回演奏曲目)のスコアはありませんか??」 係りのロン毛のお兄さん、事務所にまで行って調べてくれましたが、 残念ながらありません、とのこと。曲はすぐ分かったみたいですけど。 生まれ故郷の国でもマイナーな曲なんでしょうか・・・。 【ヴァーツラフ広場】 そこから歩くこと15分。国立博物館を目印に、ヴァーツラフ広場。 プラハの春、ビロード革命、数々の民衆運動の舞台となった場所。 小説「プラハの春」で、ヤン・パラフの焼身自殺の話を読んだときは、 それが実話だとは思いもしませんでした。 聖ヴァーツラフ像の基に花が手向けられていて・・・。 今は、単なる繁華街、銀座のような雰囲気。 【市民会館】 さらに歩いて、市民会館、スメタナホールのあるところです。プラハの春国際音楽祭のメイン会場でもあります。 内部は見られませんでしたが、外観もとても美しい! 【スメタナ・ミュージアム】・・・ここでデジカメ電池切れ(泣) さらに時間があったので、カレル橋まで歩いて戻り、 橋の袂にある、スメタナ・ミュージアムを訪れ、ここで夕暮れのひと時。 スメタナも、途中で聴力を失った作曲家。 国民的英雄だった彼の病を治すため、人々が資金集めをしたそうです。 結局彼は、精神的な病で自殺をしてしまうわけですが。 展示の中に、スメタナが書いたモーツァルトD-mollのピアノ協奏曲の カデンツァの楽譜があって、びっくりしました。 どなたか、聞いたり録音お持ちの方いらっしゃいませんか。 人気のないスメタナ・ミュージアムで、 オペラ「リブジェ」そして交響詩ヴルタヴァの旋律を聞きながら望む カレル橋、プラハ城の夕景そして夜景は本当に素晴しく、 心に迫って、忘れられないひとときとなりました。 【おまけ】 なぜか電池切から復活したデジカメ。 頑張って旧市街広場の夜景を撮影。 クリスマスマーケットで大賑わい! しかし、スリも多数。 #
by mitsukoviola
| 2005-12-24 23:57
| 旅日記
2005年 12月 23日
時差のせいか、早々に目覚めてしまったので、朝の散歩です。
今回プラハで宿泊のホテル・モーヴェンピックの住所が MOZARTOVAという地名であることが、とても気になっていました。 そう、モーツァルト! 聞いてみましたら、やはりすぐ近くにありました。 モーツァルトがプラハ滞在中に住んだ、ベルトラムカ山荘! ここで、「ドン・ジョヴァンニ」が書き上げられたのです。 時間的に内部を見ることは無理だったのですが(残念!) 外観だけ見て廻りました。市街地外れの高台であり、 モーツァルトが生きた時代も静かな土地だったであろうことが伺えました。 プラハは、ウィーンで成功しなかったモーツァルトを暖かく受入れた街。 そんなプラハの観光に、いざ出発です。(長い前置きでした) * * * 【プラハ城】 まずはフラッチャニー地区から、プラハ城。 門を入り進むと、大統領官邸がある中庭があります。プラハの春のソ連軍による軍事介入では、ここも占領されたところです。 ハヴェル氏の後、現在はクラウス大統領。 さらに奥に進むと、聖ヴィート大聖堂。見上げた瞬間、鳥肌が立ちました。 聖書に基づく様々なステンドグラスが美しい、立派な聖堂です。 入って左から3つめ、ありました!ミュシャ作のステンドグラス。 ※ 大聖堂内の 写真は、 有料で 許可を受け ノンフラッシュ にて撮影。 ひときわ目を引く鮮やかではっきりとした色調のステンドグラス。 ビザンティン時代、モラヴィアの地に宣教した 聖キュリロスと聖メトディオス兄弟を描いていました。 この二人、キリル文字の原型を作った人でもあるのだそう。 数多いキリスト教の聖人の中でも、スラブに縁の深い存在なのですね。 (というのは、事前学習による・・・) その後、黄金の小道を通り、城外、市内へ。途中、市内を一望! まさに、「百塔の街」という言葉を体感しました。本当の塔の数は、100どころではないらしいのですが。 あまりの美しさに呆然。 【カレル橋】 お決まりのようにプラハ城を見上げて感動したり、 聖ネポムツキーに触って幸運を祈ったり、大道芸人に見入ったり。 カレル橋は、実はとても数学・天文学的に作られた建造物。 定礎は、奇数列の1357年9月7日5時31分だったといいます。 また、ラテン語で「覚えておきなさい、私に触れると、汝は滅びるであろう」 という意味の、円形右からも左からも同じ文字列の言葉が記してあって、 橋を守っているのだと、文献に書いてありました。 残念ながらどこにあるのかは分かりませんでしたが。 そんなカレル橋とプラハ城を見上げて。 その後、歩いて旧市街広場へ。 数々の民衆蜂起や、処刑場となった場所。 そして、ヤン・フスの像がある場所でもあります・・・ が、現在ではスリが多発する場所でもあり、 同じツアーに参加した方で、この付近で被害にあった方もいらしたよう。 スリのプラハなんて、腐敗を批判して殉教したフスが泣きます!笑 というわけで、いったん休憩。 #
by mitsukoviola
| 2005-12-23 01:32
| 旅日記
2005年 12月 22日
前日慌しく仕事片付けて、職場の人にお願いしますのご挨拶。
荷造りもして仮眠にちかい睡眠をとって朝を迎えました。 今回の旅は・・・母娘二人旅。 いろんな人に「喧嘩しないでね(笑)」と。結果オーライでしたが。 横浜7:06の成田エクスプレス、と思い込んで横浜駅に到着したら 本当は7:26発だった・・・。前途多難な幕開けでありました。 出勤の時間を早めた父と、たまたま休暇の妹が見送ってくれました。 9時ちょうどに成田空港第2ターミナル到着、 チェックイン後、出国手続きと搭乗手続きです。 今回の航空会社は、オーストリア航空とANAの共同運航便。 小さい飛行機ですが、ウィーンへ直行で、中東欧のアクセスは抜群です。定時の11:40離陸。後で添乗員さんに聞きましたら、オーストリア航空は常にオンタイムなのだそうです。遅れることはほぼないとか。立派! 機内食もとてもおいしく、とくにチキンと一緒に出されたニョッキが◎! ウワサに聞く、足の先まで真っ赤な制服のフライト・アテンダントさんたち。ドリンクのサービスもこまめ。 夕方到着のヨーロッパは、早めに眠って眠り過ぎない、がベスト。ということで、ちょっと辛かったが頑張ってみました。 12時間程でウィーン・シュヴェヒャート国際空港着。 実はドイツ語圏初めてなので、空港のドイツ語表記に、思わずドキドキ。 現地時間は16時過ぎで、もう日も沈んでいました。あぁ、ヨーロッパの冬。 プラハ行きの飛行機にトランジット。今度は小型のプロペラ機です。 思わずひとこと、「小回りききそう・・・」と言った私に、母は大笑い。 40分ほどのフライトで、プラハ・ルズィニェ国際空港に到着。 (日本語だと、「ルジネ」に近い発音ですが・・・難しい・・・) ホントあっという間。東京ー大阪間よりも近いのではないか・・・。 憧れのプラハ!空港は人が結構多かったですが、 空港から市内へのバスからみる街は少し暗い、というか寂しげ。 現地時間18:30頃、宿泊先のモーヴェンピックに到着。 スイス資本のホテルで、明るい雰囲気でした。 時差はマイナス8時間。結構疲れてしまったので、もったいなかったが 早々にゆっくり休んでしまいました・・・というわけで、旅も順調にスタート! #
by mitsukoviola
| 2005-12-22 23:58
| 旅日記
2005年 12月 22日
今日は無事に出勤しまして、ようやく現実に戻れました。
仕事はたまっていましたけど、グループのみんなのご協力で、 綺麗に片付いていて・・・。本当にありがたかったです。 家族・会社・オケ、いろんな人の協力で休暇がとれました。 旅行記を記すことは自己満足な行為でしかありませんけど、 自分自身の記憶に残すことと、周りへの感謝の気持ちをこめて 振り返ってみたいと思います! 先に記録しておきますと、今回、チェコフィルの演奏会は、 ツアーの行程上厳しく、キャンセルしました。が、念願であった、 ウィーン国立歌劇場での「フィガロの結婚」「ローエングリン」 2本のオペラを鑑賞することができました! 本当に素晴しい体験でした。ということで、追ってレポしたいと思います! #
by mitsukoviola
| 2005-12-22 23:54
| 旅日記
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